彼岸(ひがん)
「暑さ、寒さも彼岸まで。」と言うらしい。
確かに、先週の秋分の日を過ぎてからというもの、
つい先日までの暑さは、どこへ行ったのかというくらい、涼しい。
というより、むしろ寒い。
ついに昨日、「雪虫」が飛んだ。
この札幌では、四季折々の風情を感じることができる。
私の、札幌が大好きだ、という理由の一つである。
札幌が「日本人が住みたい街、No1」らしい。
なるほど。
わかる。
千仁会が「北海道の歯科医院で患者さん満足度No1」というのが、
私たちの
悲願(ひがん)である。

そこには、こう書かれている。
「この序説が長すぎて一気に読みとおせぬようなら、六部に分けてもよい。」
とは言っても、それほど、長い文章ではない。
90ページ足らずである。
しかし、デカルトをして、我々「一般人」には長いということか。
申し訳ないが、一気に読んでみた。
というより、今回は読むことができた。
なるほど。
「我思う、ゆえに我あり。」
この深い意味を、なんとなく感じることができた。
中学生の時の担任が、私たちに「読め!」と勧めた意味もわかる。
年をとると、色々なことが解るようになるものだ、と改めて感じる今日この頃である。
そう考えると、年をとるのも、良いものである。
「我思う、ゆえに我あり。」
デカルトの、あまりにも有名な言葉である。
この言葉に出合ったのは、
なななな、なんと中学校3年生の時である。
当時の担任(もちろん思い出深い恩師の一人である。)が、
なにを思ったか、
デカルトの「方法序説」を読むことを私たちに勧めた。
私は素直なほうなので、
なるほどと思い、その「方法序説」なるものを読んでみた。
(当時、実際にこの本を購入したのは私を含めた2人だけと記憶している。)
正直、六部構成のうちの
「第一部」で読むことに挫折した。
あまりにも難しすぎた。
その後高校に入り、「倫理・社会」という授業の中で
デカルトという名前と再会した。
と同時に、部屋の隅で埃をかぶっている「方法序説」に
再び手を伸ばしてみた。
やはり、よくわからない。
先日、ヒョンなことから、「方法序説」を手にしてしまった。
つづく。
「秋は、夕暮れ」
これもまた、清少納言は言い切ってしまっている。
返す返すことわるが、張り合うつもりはさらさらない。
しかし私は、
「秋は夕食」と思う。
清少納言は、「あけぼの」「夜」「夕暮れ」「つとめて」と
時間を指し示しているだけに、
「夕食」とは、
なんとも即物的かと、我ながら思う。
ナンセンスか。
この季節、
秋の味覚が盛りだくさんである。
その多くが夕食卓に登場するのは我が家だけではないはずである。
それらの「秋の味覚」を堪能するとき、
「生きる喜び」を実感する瞬間でもある。
秋の味覚を堪能するには
「健康な口腔内環境」が欠かせない。
正直、何の写真かわからない。

これなら、わかるかな。

そう、これならわかるよね。
「天高く馬肥ゆる秋」などと言うらしい。
秋にできる雲は夏の雲より高い所にできるということを
小学生の頃習った気がする。
とすれば、3枚目の写真、右下に秋の雲である鱗雲が張り付いている。
もう秋ということか。
先日の日曜日、私は、またしても雲の上にいた。
またしても私にとっては「雲の上の人」に会いに行くときである。
歯科界における雲の上の人である。
飛行距離が長くなるので、高度も高くなるらしい。
鱗雲のはるか上である。
名物の「みそ煮込みうどん」と「名古屋コーチン」をたらふく食べてきた。
馬同様、私が肥えそうな勢いである。
もうすぐ突き抜ける。
間違いない。
« 2008年8月 | ブログトップページ | 今までの記事一覧 | 2008年11月 »