小学生の頃。
祖母の病室にお見舞いに行くと、
ベッドの傍らのテーブルの上に
総入れ歯がいつも揃えて置いてあった。
場合によっては、
食事のときですら、その入れ歯は、
そのテーブルに置かれたままだったような気がする。
その頃、なぜそこに、入れ歯がいつも置かれているのかを
私は知るはずもなかった。
私が歯科医師になる、「ずっとずっと前」のことである。
今ならその理由がわかる。
何のことはない。
祖母にとって、その入れ歯が合っていなかったということ。
ただ、それだけのことである。
しかし、それ以上の意味もある。
病気の人にとって、食事を摂るということは、
生きていくために必要な行為であることは間違いない。
健康な人にとってのそれとは、少し意味合いが違うものかもしれない。
祖母にとって、
食事が生きるために必要な行為と言うだけでなく、
食事が楽しみの一つであるためには、
何が必要だったのだろう。
その答えの一つが、ここ「千仁会グループ」にはある。

















